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COTOPICS コトピックス

vol.152020年7月号

きょうの架け橋

対談:書家 川尾朋子×当社代表取締役 川口聡太(1/3)

このコーナーでは、京都の伝統文化を担う方々へのインタビュー特集をお届けいたします。文化と人々を繋ぎ、後世へ残していくために何を考え、感じ、活動されているのかをお伝えしていきます。

今回は「呼応」「人文字」シリーズなど空間や物語を感じる作品を発表し、イベントでのライブパフォーマンスやさまざまなロゴを書かれるなどマルチにご活躍の書家・川尾朋子さんと、当社代表川口聡太の対談をお送りいたします。

川尾 朋子
1977 年生まれ、兵庫県豊岡市出身。同志社女子大学卒業後、2004年より祥洲氏に師事し書家の道を歩む。大河ドラマ「八重の桜」のオープニングにも起用された、空中での筆の軌跡を可視化する「呼応」シリーズのほか、人が文字の一部になる「人文字」シリーズ、2019 ラグビー W 杯の決勝 Movie への出演、病院でのワークショップなど多方面で活躍。

暖かな日差しが心地よく、春の近づきをより一層強く感じたある日。「霧の街」としても知られる京都・亀岡の、アトリエとして使われている趣ある一軒家に到着すると、川尾氏のきらきら輝く瞳と気さくな笑顔に迎えられた。

やんちゃな女の子の
心の支えになった書道

川口「早速ですが、書道はいつから始められたのですか?」
川尾氏(以下 川尾)「6 歳ですね」
川口「もしかして、6 歳の 6 月 6 日に始めると芸事は上達する…という」
川尾「いえいえ、単にもう少し落ち着いてほしいという母の切なる願いだったんじゃないかしら(笑)」
川口「そうなんですか?活発なお子さんだったのでしょうか」
川尾「運動大好きでした!陸上とかバレーボールとか、小学生の時は書道と両立していましたね」
川口「そんな女の子が、なぜ書の世界にのめり込んでいったんでしょう?」
川尾「6 年生の時に、アトピーがひどくなってしまって、中学も高校も半分くらいしか登校できなくなってしまったんです。高校 2 年生の時は半年くらい入院もして」
川口「そんなにひどかったんですか…今顔を合わせていて、とてもアトピーがあったようには見えません」
川尾「おかげさまで。でも当時は、自分ができることは静かにできる書しかなかったんです。ですがそれも、『絶対にやめるな』と言ってくれた先生や周りの支えがあったおかげです。高校では書道部にいたんですが、顧問の先生が同門の方で。私が部活にだけ行っても何も言わずにいてくれて、続けられる環境を与えてくれた。いつしか書は心の支えになっていました」
川口「そうでしたか。そのような温かな人に囲まれた地元を出て、京都の大学に進学されたのはなぜですか?」
川尾「入院先が京都の病院で、退院が近づき、体調の良い日は街中を歩き回ったりしていたんですけれど、その時京都っていいな、と思ったのがきっかけです。自分を快方に向かわせてくれる場所だという想いもあるから、今も京都にいるのだと思います」
川口「なるほど。そして大学卒業後は、すぐ書家に?」
川尾「いえ、大学の研究室で秘書や実験補助の仕事をしていました。実は、就職活動もして内定もいただいていたんです。でもそこで迷ったんですよね。正社員として働くと、趣味としては続けられるけど今までのように書に没頭することは難しくなる。それでいいのかって。悩んだ末に、やっぱり私にとって書の存在は大きすぎると内定を辞退しました。中途半端な気持ちで働くのも失礼だと思いましたし…でも最初は書家としてまだ食べていけないので、時間に余裕が持てる大学のお仕事をしつつ、書を続けることにしました。その後2004年に師匠の祥洲先生に出会いました。」

古典臨書を重ねて生まれた
「呼応」シリーズ

川口「祥洲先生のところへはどのような縁で?」
川尾「京都の、書道道具店の店主さんがご紹介くださったんです。こんな先生がいるけど、会ってみる?って。先生は古典臨書と言って、先人が書かれたものの模写をとても大切にする方です。一方で、自分の作品づくりは自由にやりなさいと見守ってくださいました。書道家として、作品を創る大切さも教えていただいた気がします」
川口「書家として歩む力をつけてくれた方なんですね。書一本でやっていこうと決められたのはいつだったんですか?」
川尾「30 歳のころですね。大学で 7~8 年勤めていたのですが、生活に保険をかけている状態で書をしているのではないかと思えてきて。その頃、世阿弥の本に『芸事は 35 歳までにうまくいかない人は一生大成しない』といったことが書かれていたのを読んだんです。それで、私も 35 歳までに何か形にできなければやめた方がいい、それまで書に集中しようと思い辞めました」
川口「ストイックなお考えですね」
川尾「そんなことないですよ。でも節目、節目で自分にとっての書を考えてこられたのだと思います」
川口「私は書道に関してまったくの素人なので、お恥ずかしい質問かもしれないのですが、芸事で『守破離』という言葉を使われることがあるじゃないですか。川尾さんにとって、書家として『破』のポイントというのはありましたか?」
川尾「そうですね、『呼応』シリーズができたときでしょうか。古典臨書って何千年も前の人の書を写すのですが、その人が書いていた場所や時代背景を想像しながら書くことが大切に思えてくるんです。突き詰めると、紙と筆が触れていない空中の動きもトレースする必要があると思ったんです。その動きを可視化しようとして生まれたのが『呼応』シリーズです」
川口「のちに NHK 大河ドラマ『八重の桜』のオープニングにも起用され、川尾さんを書家として世に知らしめた代表作ですよね。これはどのようにして書かれているんですか?」
川尾「筆が着地しているのは一点だけで、あとは滴ったり飛び散ったりした墨が、空中の筆の動きを表現しているんですが…最初は発表すること自体が挑戦でした。受け入れてもらえるのかなって」
川口「我々が知っている書道というより、抽象画のようですもんね。ですがお話を伺うと古典の中から出発していて、間違いなく書のひとつの形なのだなと思いました」
川尾「ありがとうございます」

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