1. 制作実績サイト
  2. コトピックス TOPページ
  3. 2018年4月号【対談】株式会社京都𠮷兆 総料理長 徳岡邦夫×当社代表取締役 川口聡太(1/3)

2018年4月号

きょうの架け橋~今と未来を生きる京文化~

対談:株式会社京都𠮷兆 総料理長 徳岡邦夫 × 当社代表取締役 川口聡太(1/3)

このコーナーでは、京都の伝統文化を担う方々へのインタビュー特集をお届けいたします。文化と人々を繋ぐため、後世へ残していくために何を考え、感じ、活動されているのかをお伝えしていきます。

今回は世界の要人にも腕をふるう、京都を代表する料亭「京都𠮷兆」の代表取締役兼総料理長の徳岡邦夫氏と、当社代表川口聡太の対談をお送りいたします。

徳岡邦夫
株式会社京都𠮷兆 総料理長
1960年生まれ。高校卒業後、祖父であり「𠮷兆」創業者の湯木貞一氏の元で料理の修業を経て、京都・嵐山本店へ。1995年、京都𠮷兆の総料理長に就任。伝統を守りつつ時代にあった日本料理を提案し、和食文化の浸透に尽力する。

しとしとと降り続く梅雨が、隅々まで丁寧に手入れされた中庭の緑をひときわ濃く描き出す6月のある日。嵐山の渡月橋から川を少し遡ると出会う、立派な門構えの奥に広がる京都𠮷兆の一室で、徳岡氏と川口が話し始めた。

現在を形づくる破天荒な少年時代

川口「徳岡さんは嵐山で生まれ育ったのですか?」
徳岡氏(以下、徳岡)「私が3つか4つの頃、母が「京都𠮷兆」の経営を任され、父である湯木貞一(「𠮷兆」創業者)からこの嵐山本店になっている邸宅を譲り受けることになり、今の湯木美術館がある大阪から移り住みました」
川口「では、小さいころから板場は身近なものだったんでしょうか」
徳岡「身近ではありましたが、料理人になりたいとは思ってもいませんでしたね」
川口「そうなんですか!」
徳岡「小学生のころは体を動かすのが大好きで、走ったり泳いだりスポーツばかりやっていましたし、中学生のころもやんちゃしたりサッカーに打ち込んだり。ところが三年生の時『このままの成績だとどこの高校にも行けない』と先生に言われてしまいまして」
川口「ええっ」
徳岡「サッカーの強豪校から誘いもあったので、高校は行けるものだと思っていたので私も驚きました。両親もこれはまずいと、当時修業に来ていた東大出身の板前に私に勉強を教えてほしいと頼み込んで。結局彼の紹介で進学塾に通うことになったんですが、中学一年生の一番下のクラスに入れられました」
川口「中学三年生が一年生のクラスにいると、かなり目立ったのではないですか?」
徳岡「初めは怖がられましたね、体格も大きいしヤンキーファッションでしたから(笑)でも学力が露わになると、次はバカにされましてね。それが悔しくて猛勉強して、夏休みが終わる頃には中学三年生に追いつきました」
川口「早い!熱中するきっかけさえあればぐんと伸びるタイプだったんですね」
徳岡「そうかもしれません。最終的には学校のテストはほぼ満点、岡山県にある全寮制の超進学校に合格しました。半年でやめましたけど」
川口「そんなに猛勉強して入った学校をですか?!」
徳岡「当時、その高校の教育方針が『80点以下は点数じゃない』と言って、到達しなければビンタをくらうような学校だったんですよ。宿題も深夜までかかってやっと終わるような量で…勉強漬けの毎日に限界が来て、寮を飛び出していました」
川口「今では考えられない教育ですね…」
徳岡「実家に戻ってからは料理人修業をしていたんですが、2年ほどしてから地元の高校に入学しなおしました。そこでバンドに誘われて夢中になったんです」
川口「音楽をやられていたんですか。楽器は何を?」
徳岡「ドラムです。知り合いに譲ってもらって、窓を閉め切った部屋で飽きもせず叩いていました」
川口「ライブなどは?」
徳岡「もちろんやっていました。一年生の時すでにオリジナル曲ができていたので、文化祭で披露したんです。それも当初は、嵐山周辺は風致地区なので大きな音を出せないからダメだと言われていたのですが、周辺のお家全部を回って署名をお願いし、知り合いのスタジオミュージシャンにも手伝ってもらって開催に漕ぎつけたんです。ほかにもコンクールで優勝経験もあるんですよ」
川口「徳岡さんの行動力は若いころから群を抜いていたのですね。いつか聴かせていただきたいです」

世界に通用する料理人への開眼

徳岡「当時は本当に音楽に打ち込んでいて、『プロのミュージシャンになりたい』と真剣に考えていました。デビューに向けて資金も貯めていたんです」
川口「そんな夢があったんですか!」
徳岡「ただ、父に打ち明けたとき猛反対されて。家族会議まで開かれて説得されたんですが、私も両親も感情的になってしまって収拾がつかなくなってしまったんです。そこで子どものころからお世話になっている禅寺の老師を頼りました」
川口「ほう、お寺へ…?」
徳岡「はい。家族全員が尊敬している方でしたし、大人も子どもも関係なく、とてもフラットに接してくださる方だったので、きっと自分の気持ちを理解して、応援してくださると思っていたんです」
川口「それで、老師は何と?」
徳岡「何も。答えをくれることはありませんでした。ただ『しばらくここにいろ』と言われて、坊主にされました」
川口「ええっ!」
徳岡「それで寺にいる間は風呂当番の仕事をしなさいと仰って。朝は三時から座禅を組んで、薪を集めて、割って、湯を沸かしてと、もちろん重労働です。でもこれを乗り越えたら認めてもらえるのだと思って受け入れました。幼いころから座禅も何度も体験していましたし…ただ、きついことに変わりはなく『俺は何をやっているんだ』と泣きながら薪割りをしていたこともありました」

前のページを見る 次のページを見る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ページの先頭へ戻る