COTOPICS コトピックス
vol.92015年3月号
対談:株式会社永楽屋 十四世 細辻伊兵衛 × 当社代表取締役 川口聡太(2/3)
老舗復活の序章
誰も真似できない「昭和7年」
永楽屋 私は昔「桃太郎」と云われてました
川口「倒産寸前だった永楽屋で、手ぬぐいを事業の柱に据えようと思われたのはどうしてですか?」
細辻「最初から事業の柱になるとは思ってなかったです。でも、やるしかないと思った。それが正直なところです。ただ、せっかく長く続いているんですから、老舗のブランドと、京都と、保存されていた昔のデザインを生かしたいとは思っていて。だって、例えば今企業ロゴにもしている昭和7年の手ぬぐいデザインなんて、もう今は真似できないじゃないですか。大正後期から昭和初期にかけて手ぬぐいブームがあったようで、うちの会社にも一日中手ぬぐいのデザインだけを考える社員が3~4人いたんです。今みたいにモノが溢れていない時代なので、手ぬぐい1つに、風俗や季節感、当時の時代背景まで注入していたんですよ。だから手ぬぐい事業に関しては、売れる売れない以前に、誰にも真似できないことやから、やろうと思ったんです」
川口「なるほど。人と違うことを狙おうと」
細辻「年月はお金で買えませんからね。大正ロマンって言われるように、大正時代って景気もよくてすごくいい時代だったみたいなんですよ。衣・食・住、全てにおいて、この京都にいい資材が集まってきた。着物も大正時代のものはすごく綺麗ですよ。京町家を解体したらダメだというのも頷ける話で、大正時代あたりに建てられた京町家の丈夫さは、ほかのと格が違うらしいですよ。その時の手ぬぐいだって、今見ても良いものは良いはず。これをそのまま復刻したら、価格以上の価値があるはずだと」
上:永楽屋 春の町家
下:永楽屋 八つ橋(神坂雪佳コラボ作品)
川口「実際に『これはいける』と手応えを感じられたのはどのあたりからですか?」
細辻「3年目くらいですね。最初は店舗も室町通りで人通りも多くないし、全然ダメだったんです。でもせっかくやから勝負に出たいと思って、たまたま見つけた四条通の店舗に出したんです。そうしたら注目され始めたんで、いけるんじゃないか?と思って祇園にも出店したら売上も伸びて、各メディアからの取材もめちゃめちゃ増えたんです」
川口「単純に立地の問題だったという訳ですね」
細辻「そうですね、モノは本当にいいものを作っていますから。『永樂通寳』(※2)の名に恥じないくらいね。図案は明治~昭和初期の復刻が中心ですが、生地は新しく開発したものなんです」
川口「そうだったんですか!なぜ生地は復刻しなかったんですか?」
細辻「昔の生地はごわごわした感じだったんです。触り心地を求められていなかったんでしょうね。でも現代で、うちが復刻するなら京都の綿布商がこだわって作ったものにしたいと思って、オリジナル生地を開発しました。生地屋さんから布を仕入れて染めるのが普通なんですけど、織元さんに直接依頼して、もう製造されていない古い小巾織機(※3)を直して織っています。浴衣の生地としてよく使われていたんですが、大量生産にも向かないから廃れつつあって。機械の製造がなかったんです」
川口「そうなんですね」
細辻「手ぬぐい屋を再開しようと思ったとき、染めの技術ももううちにはなかった。だからまず自分が多色染めの勉強をして、型友禅の技法を使って復刻したんです」
川口「ご自分でそこまでされたんですか」
細辻「そうですよ、中小企業は、社長が全部率先してやらないと。繊維業界は今厳しい状況ですが、それでも勝つ企業もある。ユニクロさんとヒートテックを開発した東レさんなんかすごいですよね。もうヒートテック繊維は世界ブランドですから。でも、大企業は研究室を作って大掛かりな開発ができるけど、中小ではできないでしょう。それなら経営だけじゃなくて研究・開発も、広告宣伝も、全部社長がやらなあかんのです」
川口「明日の仕事をクリエイトされているんですね。僕も見習わないと」
細辻「経営もクリエイションですから。企業という仕組みを創造する、経営者もアーティストでいいじゃないですか」
川口「なるほど。頑張ります」
RAAK―手ぬぐいはファッションへ
川口「伊兵衛さんのクリエイションの一つが、多くのブランドを展開されていることがと思うのですが、手ぬぐいブランド『RAAK』を立ち上げられたきっかけは何ですか?」
細辻「永楽屋で復刻した手ぬぐいには、絵画のような一枚ものの絵が多かったんです。綺麗なんですけど、店頭に畳んで並べると柄がわからなくなってしまうんですよ。だから店頭に並べても映える、総柄の手ぬぐいをやってみたいと思ったのがきっかけです。でも普通の手ぬぐいじゃ面白くないので、ふんわりした肌触りが出せる、やわらかなガーゼ手ぬぐい。RAAKのコンセプトは『京都(洛)から発信する』なんですが、例えば海外ブランドの洋服と一緒に、ファッションとして使えるガーゼ手ぬぐいをやっていこうと思いました」
川口「そこから、他への展開にもつながっていったと」
細辻「そうですね。帆布鞄の『伊兵衛 Ihee』、風呂敷専門の『伊兵衛 ENVERAAK』、一番最近が『京呉ふく ほそ辻』」
川口「これ全てオリジナルで作ってらっしゃるんですか」
左:永楽屋 モガ
右:RAAK バレリーナ
細辻「そこがうちの自慢ですかね。タオルもハンカチも、手ぬぐいもガーゼ手ぬぐいもできる。風呂敷も帆布鞄も、着物も作れる。こんな会社、そうないと思っているんですけどね」
川口「それぞれ、全部に職人さんがいらっしゃるんですか?」
細辻「ええ、全て違う職人がいます。染め一つとっても、手ぬぐいと、ハンカチと、着物は全部違う技が必要ですから」
川口「それら全て把握しておられるんですね…」
細辻「モノを作るにはその技術がわかっていないと、いくらデザインが良くてもダメですから。『ほそ辻』で着物も扱い始めたのは、ずっと綿や麻の生地を扱ってきたので、絹織物も勉強したいと思ったんです。デザインと技術が融合した、人が真似できないものを作りたい。手ぬぐい事業を始めた頃から変わってないですね」
(※2)永樂通寳…室町~江戸時代に流通した銭貨。細辻家は織田信長の時代に「質の良い綿布を扱う」として、永樂通寳の旗印を賜った。
(※3)小巾織機…木綿の浴衣等に使われていた、小巾の生地を織る機械。この生地の生産量はかなり落ちているが、京都の職人が得意な生地。