COTOPICS コトピックス
vol.62014年6月号
対談:聖護院八ッ橋総本店 鈴鹿可奈子 × 当社代表取締役 川口聡太(1/4)
- 鈴鹿 可奈子
- 株式会社聖護院八ッ橋総本店 専務取締役。1982年生まれ。京都大学経済学部卒業後、信用調査会社勤務を経て、2006年聖護院八ッ橋総本店入社。2011年、八ッ橋の新しい食べ方を提案する店舗として、「nikiniki」をプロデュース。次世代の女性経営者として注目を集めている。
このコーナーでは、京都の伝統文化を担う方々へのインタビュー特集をお届けいたします。文化と人々を繋ぐため、後世へ残していくために何を考え、感じ、活動されているのかをお伝えしていきます。
今回ご登場いただくのは、聖護院八ッ橋総本店 鈴鹿可奈子専務と、当社代表 川口聡太の対談をお送りいたします。
桜の樹が薄紅色から輝くような若葉に衣替えした4月下旬。京都・熊野に位置する聖護院八ッ橋総本店本社の一室で、鈴鹿専務と川口の対談が始まった。
川口「今年で325年続く老舗を受け継ぐとなると、跡を継ぐには覚悟が必要だったのではないかと思います。決心されたのはおいくつくらいの時だったんですか?」
鈴鹿氏(以下、鈴鹿)「はっきり決めたのは中学2~3年生くらいですね」
川口「えっ、早い!」
鈴鹿「中学受験をきっかけに、自分は何になりたいのか、どうしていきたいのかを考えるようになったんです。両親は家のことは気にせず、自分の好きなことをしなさいって言ってくれていたんですけど、私は子どものころから八ッ橋が大好きなんです。学校帰りにお店に寄ってはもらって食べていて(笑)それなら大好きなものをもっといろんな人に食べてもらうための仕事がしたい。しかも経営に関われるなんて、いい機会だと思って跡を継ごうと決めました」
川口「中学生でそこまで自分の将来を決められるなんて、なかなかできないと思いますよ。大学時代、留学されたのも将来を見据えてのことですか?」
鈴鹿「それもありますし、大学3年生の前期で単位がほとんど揃ったのが大きいですね。卒業までの1年半、何をしよう?と思ったときに、1年まとめて海外に行けるチャンスだと思って。勉強にうるさい両親ではなかったんですが、昔から語学だけは実地で勉強させてくれていたんです。小学生の時だったかな?家族で海外の知人宅に訪問したら『じゃあ先に帰るね』って帰国してしまって、いきなり1ヶ月くらいホームステイしたり(笑)」
川口「それは(笑)かわいい子には旅をさせよ、を地で行く教育方針だったんですね」
鈴鹿「でもその前から、小さな頃から父の仕事の関係で、海外の子ども達と一緒に過ごす機会がけっこうあったんです。ただ、会話していると周りの子たちは英語ですらすら会話しているのに、自分だけできないのがずっと引っかかっていて。それで留学を決めました。ゼミの教授に相談したら、ぜひ行くべきだ、卒論も向こうで書いたものでいいと後押ししてくださいました」
つぶあん入り生八ッ橋『聖』
川口「留学中、どんな気づきがありましたか?」
鈴鹿「疑問点はすぐに聞く、自分の意見をすぐに出す癖がついたことです。実際に経済の勉強も身につきましたけど、授業中自己主張していかないと存在を忘れられてしまうというか」
川口「海外はそうだと聞きますよね。主張しないと生き残っていけないんでしょうか」
鈴鹿「そうですね、さらに今になって思うのはそうじゃないと楽しくないなって。単位が欲しくて授業を受けているわけではなかったので、疑問符がついたままもやもやしているより、どんどん聞いて吸収していきたいとも思えました。海外の先生方のお話を聞ける機会もそうそうないですし」
川口「積極的な学びがあったわけですね。その経験が仕事に生きているなと感じる瞬間はありますか?」
鈴鹿「仕事にはすごく生きています。例えばデザインを決めるとき、私の第一印象ってお客様の第一印象でもあるんです。経営に関わるすべてのことで、思うことをぱっと言葉にできるのは、周りにとってもわかりやすいかなと思っています」
川口「経営していると、迷っている暇がないですよね」
鈴鹿「ないですね、迷うと判断に詰まってしまいますから。保留するにしても理由をはっきり言えるのはいいことかなって。まぁ、父からすると、女の子なのにハキハキしすぎじゃないかってちょっと心配みたいですけど(笑)」
川口「(笑)でも、だからこそ伝統産業の中で、創造的なチャレンジができるんだと思います」