COTOPICS コトピックス
vol.42013年12月号
対談:観世流能楽師 橋本忠樹 × 当社代表取締役 川口聡太(1/3)
- 橋本 忠樹
- 観阿弥・世阿弥から約650年以上続く能の最大流派・観世流を受け継ぐ若手能楽師。観世流シテ方橋本礒道(重要無形文化財保持者)長男。3歳で初舞台を踏み、東京藝術大学音楽学部邦楽学科卒業後は片山幽雪師(人間国宝)、十世片山九郎右衛門師(重要無形文化財保持者)に師事、2001年独立。現在、子供たちへのお稽古教室など全国各地で能の普及活動に努めている。
このコーナーでは、京都の伝統文化を担う方々へのインタビュー特集をお届けいたします。文化と人々を繋ぐため、後世へ残していくために何を考え、感じ、活動されているのかをお伝えしていきます。
今回ご登場いただくのは遠く室町の時代に、観阿弥・世阿弥が創り上げた能の最大流派・観世流能楽師の橋本忠樹氏です。
コトピックスWebでは、本誌ではお伝えしきれなかった能の面白さや世界を股にかけたエピソードを拡大版でお届けします。
紅葉の足音迫る10月下旬。京都・岡崎の平安神宮すぐ近く、京都観世会館の支度部屋で、橋本氏と川口の対談が始まった。
みんなが来れないなら、能がみんなのところへ行けばいい
川口「早い時期からホームページを開設されたり、2006年からは京都のBarで演能活動を始められたりと、橋本さんはチャレンジの星の下に生まれたような人だなぁと感じています。Barで演じるきっかけは何だったのですか?」
橋本氏(以下、橋本)「よく飲みに行った先なんかで、『この人能楽師やで』って紹介されるんですよ。皆さん能ってどんなのやってるんですか?って聞いてくださるんですけど、敷居が高くて能楽堂には行けないって仰る。じゃあ僕がそっちに行きますっていう発想で始めました」
川口「反響はいかがですか?」
橋本「能をおもしろいと思ってくれる人が増えましたね。お能は何をやっているのかわからないという人も多いので、Bar公演では初めにあらすじや背景を説明しておくんです。だから内容を理解して楽しんでくれる人は増えた。ただ、これをきっかけに能楽堂へ足を運んでもらおうという目論見は今のところ外れているので、次の手を考えているところです(笑)」
川口「他のBarからお声がかかることもあるのではないですか?」
橋本「ありますが、やるのであれば僕以上に宣伝していただきたいとお願いしています。僕のお客さんが違う場所で見てくださるだけでは、Barのお客さんが増えるだけで能を初めて見る人は増えないので」
川口「やはり能楽堂の来場者が減ってきたという危機感もあって始められたんですか」
橋本「そうですね。特に景気が悪くなると、趣味の世界から皆さん少し足が遠のいてしまう。馴染みのお客さんが来られる回数が減ると、連れてきてくださるお友達も減るから新しいお客さんもなかなか増えません。そもそも、能楽堂ってどこにあるの?っていう方も増えてきたんです。能楽堂という存在が人々の頭の中から消えかかっている。ですので、とにかく能を観たことがあるという人を増やそうと僕の師匠(※1)なんかは京都駅ビルで薪能を無料開放で演じたりしています」
川口「無料で観た方をどうリピーターにしていくかというのもハードルが高いですよね。やはり難しいものだと感じてしまうんでしょうか」
橋本「うーん…一番は、僕らの世代で教育の場から能や狂言という言葉が消えたことではないかと思っています。親世代では教科書に謡(※2)が載っていたのに全くなくなった。たとえ教科書に載っていても、先生が分からないから触れることができないんですよね。そうして大人になった人の頭からは、能や狂言という選択肢が消えてしまうんです。
あとは最初の出会い方ですね。世阿弥の作った幽幻の世界観は、初めての方にはそれこそハードルが高いと思います(笑)初めて出会うのがアクロバティックな曲だったら、能にもこんなに面白いものがあるんだって思っていただけるのではないかと。そこから徐々に世阿弥の世界にたどり着いてもらえたら嬉しいですね」
川口「では、やはり能に馴染みのない方たちの前で演能される時はわかりやすいものを選ばれるんですか?」
橋本「Barでは京都の曲(※3)を選びます。『融』、『嵐山』、『田村』、『小鍛冶』(※4)など・・・田村は清水寺がなぜできたのかというお話です。京都に住んでいても清水寺があの場所にできたいきさつを知っている人は少ないけど、京都の通りの名前やお寺さんの名前、歴史上の有名人が登場したら、親しみやすいし観ている人もイメージつきやすいでしょ?そしたら今度清水寺に行ってみようって気分になるし、行けば能と今現在がつながってより身近になる。能の『田村』は、清水寺を作った坂上田村麻呂のお話なんですが、その人の像が安置されている田村堂が清水寺にあることも、普通知らないでしょう。だけど実は、清水寺に行った全員が必ず田村堂を目にしているんです」
川口「えっ?!」
橋本「拝観料受付窓口のすぐ横にあるんですよ(※5)。お父さんが切符を買っているあいだに、お子さんが腰掛けて待っていたりするところ。つまり大人向けには、観る人の生活圏にあるものを選んで理解を促すんです。
子供向けには仕掛けのあるものとか勧善懲悪のわかりやすいものですね。クライマックスで蜘蛛の糸を客席に向かってパッと投げるパフォーマンスがある『土蜘蛛』とか、悪い鬼を武士が倒してめでたしめでたしのものとか」
(※1)橋本氏の師匠…片山幽雪氏、片山九郎右衛門氏。京都駅ビルにて薪能を上演。
(※2)謡…シテ、ワキなどの立ち方による台詞。出来事や情景描写を第三者の立場で唱うものは地謡と呼ばれる。
(※3)曲・・・能の数え方。「○番」とも言う。
(※4)
◆融…光源氏のモデルになったと言われる、源融を主人公とした能。融とゆかりのある地名として塩小路通、また彼が建立した清涼寺阿弥陀堂、宇治平等院等が登場する。源融は河原左大臣の名で百人一首にも選ばれている。
「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにし我ならなくに」
◆嵐山…嵐山が桜の名所となった所以を描いた能。奈良・吉野から植え替えた桜を守る神々が末永く民と国を守ると舞い、奏でる春の能。
◆小鍛冶・・・三条の刀鍛冶・宗近が、童子に化けたお稲荷さんの力で無事に天皇勅命の刀を打てたという能。花山稲荷神社にその言い伝えが残る。
(※5)「開山堂」とも呼ばれる。重要文化財に指定されており、通常は公開されていない。
能楽師橋本忠樹 ホームページ http://www.hashimoto-tadaki.jp/
※こちらのサイトは、当社にてトップページリニューアルをお手伝いいたしました。
リニューアルの詳しい情報はこちらをご覧下さい。
橋本忠樹氏のブログもご覧下さい。