COTOPICS コトピックス
vol.1創刊号 2013年3月号
対談:未生流笹岡家元 笹岡隆甫 × 当社代表取締役 川口聡太(2/3)
花と向き合う世界
川口「この間の創立記念日、うちの社員にいけばな教室をしてもらった時にも思ったけど、どこで完成としていいのかわからなくて。やっぱりいけばなは奥深くて難しいね」
笹岡「そうだねぇ・・・確かに、その判断は難しいね。数をこなして審美眼を養うことも必要かもしれないけれど、ある意味ではどこまでいっても完成というのはないのかもしれない」
川口「師範代を取ったら、とかは分かりやすい目標だけど、自分の思い通りに生けられるようになる段階っていつなの?」
笹岡「うーん、いけばなの世界や、他のお稽古事の世界でもひょうたんに例えられるんだけどね。まずは始めるために、エネルギーが必要。これが一つ目の関門。入口が狭いわけだね。でも一歩踏み出せば世界が広がっていく。ただ、しばらくするとひょうたんのくびれの部分に行き当たってしまう。これが二つ目の関門。そこを乗り越えるとさらに広い世界が広がっていくのだけれど・・・。このくびれの部分は、自分のイメージと腕が乖離している状態なんだね。手よりも目が先に上達する、と祖父は言うね。はじめは師範代や兄弟子の花を見て目が肥え、審美眼が養われる。ただ、腕が追いつかない。そのギャップを埋めるのは稽古を重ねるしかない、って」
川口「なるほどね。でも、未生流笹岡は理論派とも呼ばれていて、理論だけで見ればある一定の到達点ってあるじゃない。理論でははかれない個性って、どこで出てくるんだろう?」
笹岡「いけばなでは、花を自己表現の道具として使ってはいけないと教わる。華道家は黒子に徹し、花の個性を引き立たせることに集中する。ただ実際、祖父と私のいけばなは違うんだよね。個性というのはあえて出そうとしなくても、最終的に残ってしまうものなんだと思う」
新しい挑戦を積み重ねることが非常に重要
川口「三歳からいけばなを始めたんだよね。師匠であるお祖父様との違いってどんなところだと思う?」
笹岡「私の花はまだ硬いね。祖父の花は柔らかい。生真面目な性格もあってか、私の花はまだ論理に偏りがちで、崩しの部分が少ないんだよね」
川口「お祖父様は柔らかい人ということ?」
笹岡「全然!厳しい人だよ。だけれども花は違う。テレビ番組のセットを見ていても花に使えないかと常に考えているような人で、新しいことを取り入れようという姿勢を強く持っている。祖父の時代というのがちょうど、金属やアクリルなどの異素材をいけばなに取り入れてきた時代ということもあるけれどね」
川口「今の時代はどうなの?」
笹岡「古典が見直されているんじゃないかな。本当に必要なもの、時を経てもその魅力が褪せないものだけが今に残され、古典と言われるものになっている。私は、古典が好きで、古典に溺れがち。だからこそ、変化が必要だと常に自分に言い聞かせている。先人の知恵を習得することは必要だけれども、守るだけじゃなく常に新しい挑戦を積み重ねることが、伝統の世界においては非常に重要だと思っている」
いけばなを紹介することは京都、そして日本を紹介すること
川口「いけばなは引き算の美というけれど、文化全体の話になるとまた違うんだね」
笹岡「そう。DO YOU KYOTO?ネットワークのメンバーである漆工芸家や陶芸家、箏曲家や能楽師とのコラボレーションしていると、同じ舞台の上で直接影響を与えてもらえて本当に面白いよ」
川口「同じ伝統文化だけど、やっぱり違うところも多い?」
笹岡「見せ方ってやっぱり違うからね。通常、いけばなは太陽光を意識して、花の顔を上に向けて生ける。だけど、能舞台では面をつけた能楽師が舞いやすいように下からライトを当てるから、半ば強制的に花の生けかたを変えなくてはならない。いろんな人とご一緒することで色んな制約が出てくるけれど、だからこそ自分ひとりでは思いつかなかった発想が生まれる可能性がある。それがコラボレーションの醍醐味だね」
川口「京都って本当にいろんな伝統文化が根付いているもんね。伝統文化全体がそうやって集まって、この先どんなことをしていきたいと思ってるの?」
笹岡「多様な文化の担い手、しかも各分野トップの人と友達づきあいができる京都は、新しいものが生まれやすい。それが京都の強みでもある。人と人がぶつかる中で、新たな文化が生まれる。そんな場を提供していくことも僕の仕事かな。
いけばなにも舞台芸術への進出や海外展開など、色んな可能性があると思ってる。床の間がなくなった現代の住宅にも合った、花を飾る場所の提案もしていきたいし。様々な試みを通して、花を身近に感じてもらうことが、いけばなに興味を持ってもらうきっかけにもなる。また、いけばなを紹介することは京都、そして日本を紹介することにも繋がるから、貪欲に発信していきたいね」